今年の3月11日で東日本大震災からもう8年がたちます。当時私は大阪市内の事務所で仕事をしていました。古い4階建てのビルの3階なのですが、ビルがゆら~りゆら~りと大きく揺れ、結構長く続いたので怖くなり外へ出ました。4階には構造設計事務所が入っているのですが、そこのスタッフも飛び出していました。揺れもおさまり「ビルが古いのでよく揺れましたね」などと軽口を言い合いながら事務所に戻り、ネットで情報を集め始めると今まで見たことがないような映像が、配信され始めました。海が盛り上がり押し寄せる様子や、津波で自動車が飲み込まれる様子などです。
「原発が気持ち悪いなぁ」などと思いながら、翌日いろいろ情報が整理されてきた頃に、福島第一原発1号機が水素爆発というニュースが飛び込んできました。その映像はコンクリートの頑丈であろう建造物が、紙くずのように破裂しているものでした。その後もいろいろな事故が起こりました。私にはチェルノブイリの事故は遠い国の話でした。ですが福島は同じ国のことなのですが、関西にいるとなかなかリアリティが持ちづらい・・・。
それから1年がすぎた頃では、まだまだ復興は遅々として進まず、がれきの処理すらまだ方向性が出ていない状況でした。その元凶である東電は、福島第一原発は冷温停止状態であると発表をしていましたが、その後も様々な問題が出てきて、とても信用できる内容でなかった状態でした。責任問題は棚上げし電気料金値上げをおこない、国としても原発の問題を整理せず原発稼働の方向に向いていました。そのあと2年目くらいから復興も順調に進みはじめ、原発の処理も少しづつですが着実に進むようになりました。国としてのエネルギー政策も段階的に原発依存からの脱却を模索しています。3年目くらいからは、福島第一原発周辺の避難区域も縮小され住民も安全に戻りつつあります。消費税も8%になり少し延期となりましたが今年10%になりました。そのお金もうまく復興に役立っているようです。ようやく前進をはじめました。
来年には東京でオリンピックが開催されます。原発の廃炉作業は遅々として進まず、一部の原発は再稼動をはじめました。何かが置き去りにされて、大切な事が進まないまま。しかし、8年がすぎて何よりよかったのは、福島の子供たちの健康状態に何も異変がでていないことでしょうか。
1995年阪神淡路大震災、2004年新潟県中越地震、2011年東日本大震災、2016年熊本地震。阪神淡路大震災では、高速道路が倒れ、ビルが倒壊し、木造の家屋がへしゃげて燃え、神戸が炎に包まれる光景を見た。東日本大震災では、町が、人が、車が津波に飲み込まれ、原発が爆発し核のメルトダウンを見た。今回の熊本地震では、山が崩れ家や道路がのみ込まれ、橋が落ちる光景を見た。
当然の事なのですが、どこで地震が発生するかでその被害の現れ方が違ってきます。都市部ではダイレクトに、海部では津波というものに形を変え、山間部では土砂崩れとしてわれわれの生活を脅かします。
そう遠くない未来に東南海地震が関西を襲うと言われています。われわれ設計者は、家を計画する際、耐震の事や光の取り込み方や快適に暮らすにはなどを考えて設計します。でも、こういう事があるとわれわれ設計者の仕事は、クライアントとその家族もっと広くは社会全体の生命と財産を守る事であると改めて感じます。
MORII DESIGN WORKS 森井浩一
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